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岡山地方裁判所 昭和63年(ワ)461号 判決 1992年1月20日

原告(反訴被告)

宮脇清俊

被告(反訴原告)

鮎川欣史

主文

一  原告(反訴被告)の被告(反訴原告)に対する別紙記載の交通事故に基づく損害賠償債務は存在しないことを確認する。

二  被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴・反訴を通じ被告(反訴原告)の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  本訴請求

主文一項同旨

二  反訴請求

原告(反訴被告、以下単に「原告」という。)は被告(反訴原告、以下単に「被告」という。)に対し金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年四月二六日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車に追突して右自動車の運転者(被害者)を負傷させた自動車の運転者が、右事故の被害者に対し示談が成立したとして右事故に基づく損害賠償債務の不存在を(本訴)、右事故の被害者が運転者に対し右示談は無効であるとして自賠法三条に基づき損害賠償を(反訴)各求めた事件である。

一  争いのない事実

1  原告と被告間に別紙記載の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生したが、本件事故により被告は頸椎捻挫の傷害を受け、同年四月二六日から二日間川崎医科大学付属病院に、同月二七日原尾島病院に通院し、同月二八日から同年五月二三日まで二六日間同病院に入院し、更に同日から二日間宮本整形外科病院に通院し、同月二五日から同年七月二三日まで六〇日間同病院に入院し、更に同月二四日から同年九月二一日まで六〇日間(実治療日数四二日)同病院に通院した。

2  本件事故による被告の人的損害及び物的損害につき、昭和六〇年一〇月一一日原告と被告間に示談(以下「本件示談」という。)が成立した。

3  同年一〇月一八日被告は福岡赤十字病院に通院し、同月二二日から一三〇日間頸椎症のため同病院に入院し、その間同月二〇日若久病院で反応性うつ病と診断された。その後被告は昭和六一年三月一八日竜操整形外科病院に頸椎椎間板症等のため五一日間入院し、四五日(実日数三日)通院した。更に同年一〇月一六日左大腿部切創のため一二日間岡山労災病院に入院し、外傷性頸椎症のため同病院に合計五八九日間入院し、現在も通院している。

二  争点

被告は本件示談は、<1>本件示談当時被告は反応性うつ病にり患し、意思無能力の状態にあつた、<2>本件示談の担当者は、被告の反応性うつ病の症状及び頸椎症が軽微な頸椎捻挫ではなく、手術を要するものであつたことを知り、あるいは少なくとも容易に知り得べきであつたのに、これを短期間に治癒する軽症の頸椎捻挫であることを前提として、被告に対し強く要求して過早の示談をなさしめたもので公序良俗に違反する、<3>本件事故による被告の症状が重篤な頸椎症であつたのに、被告は軽症の頸椎捻挫であり、短期間の治療で治癒するものと誤信して示談をしたもので要素の錯誤があるので本件示談は無効であると主張し、原告はこれを争つている。

第三争点に対する判断

一  本件示談に至る経緯と被告の症状

証拠(甲一、八、一三、一四、一六、一八、一九、二三、二四、三四、乙一ないし四、七、八、一〇、一二ないし二〇、三二、三八、四一ないし四五、五五、証人鮎川、同坪田、同難波)及び争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

1  被告は本件事故後川崎医科大学付属病院で頭重感、頸部、後頭部痛を訴え、頸部捻挫と診断され、同病院には二日間通院したが、本件事故の翌日の昭和六〇年四月二七日原尾島病院に転院し、頸部捻挫と診断され、同病院に二六日間入院したこと、更に同年五月二三日被告は宮本整形外科病院に転院し、頸椎捻挫と診断され、同病院に六〇日間入院し、同年九月二一日まで(実日数四二日間)通院したこと、同病院で被告は当初頭痛、頸部痛、左上肢の倦怠感を訴えていたが、右症状は同年六月末には理学療法により軽減したこと、被告の症状は神経学的にも、また上肢の反射検査でも異常は認められず、ただレントゲン検査で第五~第六の頸椎椎間板腔に加齢による退行性の変形が認められたこと、また被告には後遺症はなく、同年九月には症状も固定見込み、同年八~九月には就労も可能と診断されたこと

2  原告や原告加入の保険会社の担当社員は本件事故後被告と面談し、本件事故の補償につき話し合つたが、被告は被告所有の自動車の破損につき新車と代車の請求を、休業損害につき一日当たり二~三万円を要求したが、休業損害については一日一万一二〇〇円とする、物損については被告の自動車の全塗装ということで合意ができ、右塗装代金を原告側で支払つたこと、被告は原告やその家族に対し、誠意がない、代わりに車を運転しろ等と電話を頻繁に架けたため、原告は同年八月二日右交渉を和田弁護士に依頼したこと、和田弁護士は翌日被告と面談したが、被告は左手の痺れを訴えたものの、示談による解決を望んだこと、同弁護士は宮本整形外科病院の医師の診断書や面談報告書から、被告には後遺症はなく、同年一〇月頃には症状が固定し、同年九月頃には就労可能と判断し、同年八月二日既払額を除き四二万円余を支払う旨の計算書を被告に送付したこと、右計算の根拠は同年九月末日までの休業損害、同年一〇月末日までの慰藉料を基準としていること、同月九月被告から大幅な金額の増額請求があつたため、協議の結果、既払額の他に八〇万九六四〇円を支払う、後遺障害は被告が直接自賠責保険に請求することで合意が成立したので、同月一一日示談書を被告に送付したこと、被告は宮本整形外科病院を退院後も痺れ感が取れず、また家族関係も上手くいかなくなつたため、その頃から、仕事が出来ないとふさぎ込み、朝から飲酒するようになつたこと、同年一〇月一八日弟の勤務する福岡赤十字病院で診断を受け、頸椎症により血液の流れが低下しているので手術が必要であると診断されたこと、更に同月二〇日酩酊状態で若久病院へ行き、反応性うつ病、アルコール性幻覚症の疑いと診断され、同病院の医師は、被告の抑うつ状態に酒量が増加したため発症したと判断し、断酒して精神科で治療を受けることを勧めたこと、被告は同月二一日和田弁護士に電話し、示談書を送るから送金を早くするよう依頼し、翌二二日被告は署名・押印した示談書(甲一)を和田弁護士に送付したので、同弁護士は同日示談金を被告に送金して支払つたこと

3  被告は同月二二日から同年一一月一六日まで福岡赤十字病院に肝臓障害の治療のため入院し、その間整形外科で診断を受け、脊髄腔造影検査の結果、頸椎第四ないし第六間の神経根ブロツク及び第四~第五腰椎椎間板変形が認められたこと、そして同月二八日第四ないし第六頸椎前方固定術がなされ、被告は同月一六日から昭和六一年二月二八日まで同病院の整形外科に入院したこと、右手術後頭痛及び手足の痺れ感は改善したこと

4  昭和六一~二年頃から被告は臀部痛、両下肢痛を訴えるようになり、同年三月一八日竜操整形外科病院に転院し、同病院に五一日間入院して、腰椎椎間板軟骨ヘルニヤ切除の手術を受け、右手術により下肢痺れ感、腰痛は軽減し、被告は同年八月頃一旦大工仕事に復帰したこと、しかし同年一〇月一六日電動ノコギリを落として左大腿部に切創を負い岡山労災病院に一二日間入院したが、その頃から後頭部痛、両肩痛、両手痺れ感等を強く訴えるようになり、同年一一月五日同病院に入院したこと、同病院には合計五八九日入院し、現在も被告は同病院に通院していること、被告は昭和六三年五月頃頸椎損傷による頸椎固定術施行により脊椎に変形が残存するとして後遺障害一一級に該当すると認定されていること、被告の現在の症状は、頭部・頸部痛、両手・両足の知覚障害、両手及び全身の振戦、失調性歩行等であること

5  被告は昭和五三~四年頃から腰痛が出現し、その後も年に一~二度の割合で腰痛があり、昭和六〇年頃より両下肢の痺れや放散痛があつたこと、前記福岡赤十字病院で被告は頸椎症と診断され、頸椎前方固定手術を受けたが、同病院の医師は被告の右症状と本件事故との因果関係は不明であるとしていること、また岡山労災病院の医師は被告の症状を外傷性頸椎症、バレール症候群としているが、通常バレール症候群は事故後一か月程度で現れること、被告の症状は心因的要素が強く影響していると考えられること

二  本件示談の効力について

1  被告は、本件示談当時意思無能力状態にあつたから、本件示談は無効である旨主張するが、前記認定の事実によれば、被告は本件示談の前頃から酒量が増え、アルコール性幻覚症、反応性うつ病と診断されているが、被告は本件事故に基づく補償につき、本件事故後から保険会社の担当者や原告と交渉を重ねて部分的な合意を成立させ、その後原告から交渉を依頼された和田弁護士の申し入れた額に対し大幅な増額請求をした結果、昭和六〇年一〇月九日合意が成立し、同月一一日付の示談書に署名・押印して同月二二日和田弁護士に送付したことが認められるのであり、かかる状況に徴すると、本件示談当時被告が意思無能力の状態にあつたとは認められないから、被告の右主張は失当である。

2  次いで被告は、本件示談は公序良俗に違反するから無効であると主張するが、交通事故による示談が公序良俗に違反して無効であるとするためには、被害者側の無知・窮迫に乗じ、全損害を把握しがたい状況下で、過当の利益の獲得を目的として、少額の賠償金を内容とする示談をしたことを要するところ、前記認定の事実によれば、和田弁護士は本件示談をするに当たり、宮本整形外科病院の医師の診断書、面談報告書を参考にして賠償額を算出していること、右診断によれば、被告は同年一〇月頃には症状が固定するとのことであつたので、同年九月迄の休業損害・同年一〇月末までの慰藉料を根拠に算定したこと、被告の要求によりその後額を増額して本件示談をなしたもので、額自体は不当なものとはいえないこと、本件示談後被告は福岡赤十字病院、竜操整形外科病院、岡山労災病院等に入通院しているが、腰椎椎間板症は本件事故以前からのものであり、また頸椎症については本件事故との因果関係は不明であり、第五~第六の頸椎椎間板腔に加齢による退行性の変形が見られたこと及び被告の症状は心因的なものが大きく寄与していることを併せ考えると、本件示談後の被告の症状は、本件事故と因果関係にあるとは認められないのであり、かかる事実に前記本件示談に至る経緯を併せ考えると、本件示談が公序良俗に違反する無効なものとは認められない。

3  更に被告は、本件示談は、重篤な頸椎症を軽症の頸椎捻挫であると誤信した要素の錯誤があるから無効であると主張するが、前記認定の事実によれば、本件事故による被告の症状は昭和六〇年一〇月頃には固定し、その後の症状は本件事故と因果関係があるとは認められないから、本件示談に要素の錯誤があつたとはいえず、この点に関する被告の主張もまた失当である。

三  以上のとおり、本件事故については示談が成立しているから、本件交通事故に基づく損害賠償債務の不存在を求める原告の請求(本訴)は正当であり、本件示談の無効を前提とする被告の損害賠償請求(反訴)はその余について判断するまでもなく失当である。

(裁判官 將積良子)

交通事故の表示

日時 昭和六〇年四月二六日午後六時一五分

場所 岡山市南方一丁目一番二九号先国道上

加害車両 普通乗用自動車 岡五七つ八〇七五

加害運転者 原告(反訴被告)

被害車両 普通乗用自動車 岡五七そ六三一一

被害運転者 被告(反訴原告)

事故態様 被害車両の後部に加害車両の前部が追突した。

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